大阪府豊中市
南桜塚1-4-2
06-6852-4041
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きねやはんのまるごとアート vol.7より |
そのB ダンの苦悩
静まり返ったホテルのフロアでSさんに別れを告げる。「多分、わたしもポカラへ行きます。会うかも知れませんね。」
「うん、でもトレッキング行くからなぁ。帰りはいつやった?」 「28日の0時05分の便です。」
「ほな、一緒か。また会うね。それまで気つけて行きや。おやすみ。」女の子の一人旅、本当に気をつけてもらいたい。
しばらく部屋でぼーっとしているとO君が帰って来た。「すいません、すいません、約束の時間に遅れて。」
結局、彼は一日中、ビザの事で役人と揉めていたそうだが、発行がいつになるのか明日にならないとわからないという。
「せっかくネパールまで来たんやし、山も見たいなぁ。でも、この草履では行かれへんし。」と、わたしの登山靴を恨めしそうに見て言った。
消灯にして、ベッドに横たわるとO君はぽつりぽつりと自分の性格やライフスタイルの事など思いつくまましゃべり始めた。
何もそこまで自己批判をしなくてもいいのにと思うが、生真面目なお寺の息子さんだけあって求道精神は旺盛のようだ。
ベナレスへ行きたいという気持ちも頷ける。わたしに何か旅の秘訣のようなものをアドバイスしてくれというが、わたしには何も彼の役に
立つような言葉は浮かんでこない。旅にしても人生にしても、今日までのわたしは失敗の連続だった。
しかしながら、そのどの体験も今は恥だと思っていない。すべてがいい肥やしになっている。だから、今回の彼のトラブルも
きっと彼を育ててくれることになるのではないかと思う。もっと言ってしまえば、今日、彼が揉め合ったという役人さんに対して、
心から敬意と感謝を抱くことができたとしたら、それが実は彼の求める道そのものに繋がると思う。
だが、その事を今わたしの口から言うのは早急過ぎる。
朝、6時の約束を20分遅れて、ガイドのダンがやって来た。日本だったら文句の一つも言うところだが、いきなり気分を悪くしたくもないので、
ここは目を瞑ることにした。わざわざホテルの玄関まで見送りに出てくれたO君に別れを告げ、わたしたちは一路ポカラへ向けて出発した。
床擦れしそうな狭いバスのシートは少しきつかったけれども、のどかな山の風景とそこで暮らす村人の様子を眺めながら、わたしとダンは
互いの生活文化のことなどいろいろと話をし、7時間の道程を退屈することなく過ごした。
午後2時30分、ようやくポカラに到着。懐かしさが込み上げてくる。13年の歳月が嘘のようである。しかし、ここも人が増えたようだ。
ペワ湖沿いの道には飲食店やみやげもの屋が軒並みに立ち並び、すっかり湖の景観を覆い隠している。
周辺にあった農家は見る影もなく、道が拡げられてどこも真新しいゲストハウスに変わっている。
かつてお世話になったHさんのスルジェハウスは消えてしまっていた。地元の人に尋ねても知らないという。
世界中で一番のんびりできるところだと思っていたポカラはどうやらもうわたしの記憶の中だけのものとなってしまったようだ。
多分、人はみなこういう惜別の気持ちに晒されながらあっという間に年をとり、老いてゆくのだろう。サイレントゲストハウスにチェックインした
わたしたちはしばしの休憩の後、人懐っこいボーイ達と冗談を交わしながら夕食を楽しんだ。
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1996.08.21
明け方、早々と荷造りを済ませて、ダンの部屋を尋ねる。
「ダン、ゆうべはよお寝れたか?」
「イエース、イエース、グッドスリープ。アーユー?」
「あんまり寝てない。日本が恋しくて、ホームシックや。」 と、心配げな
ダンの表情を見て、ジョーク、ジョークと笑い転げると、彼も笑った。
7時30分、タクシーでバスターミナルへ向かう。ここから半時間ほど
ローカルバスに揺られ、1000m以上の高度差の峠をアップダウンしながら、
ナイヤプルを目指す。新緑の山のそこここから水が滲みだし、合流し、
滝となってモディー・コラー川へと注ぐ景観は壮大だ。
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わたしたちのトレッキングは水嵩の増したモディー・コラー川に架かる大きな吊り橋から始まった。どんよりと曇った空の元、湿気の多い谷合の
石段路をせっせと歩くこと40分、みやげもの屋や茶店が数件細々と並ぶビレタンティ村に着く。
ダンはおいしい店があるので、少し早いが昼食にしようと言う。立ち止まるとTシャツが汗で革ジャンのように重くなっている。
茶店の椅子に腰掛けて、息の治まるのを待っていると、汗が冷たくなって心地よい。ダンの勧めで、野菜入りラーメン(麺はインスタント)と
チベット式とうもろこしパンを頼む。前者はまあまあだったが、パンの方は一口二口齧ったところ、油臭い匂いがつんと鼻へ抜けた。
ダンにチベット式とはこんなもんなんか尋ねると、ほんの米粒程度口にして慌てて吐き出した。どうやら間違えて、キロシンを零したらしい。
店の娘はしばらくして、謝りもせず別のものを持ってきた。腹の中に石油ストーブでも抱えたような気分でわたしたちはビレタンティを出発した。
道がすっかり川のようになっている所がいくつかあり、あたりの風景を見る余裕もなかったが、ローバーのトレッキングシューズのお陰で
足を濡らすことはなかった。山羊を連れたネパール人の三人娘がリュックを背負いサンダル履きで照れ笑いをしながらさっさと追い越して行く。
彼女らが早いのか、わたしが遅いのか、多分両方だろう。女の子たちが歩いているので気を良くしてかダンに鼻歌が出始めた。
「後、10分で着くよ。」 「ええ、もう着くの?(本当はへとへとなのだが強がって、)あの娘らともお別れかいな。さーびしー。」
午後2時30分、ティルケドゥンガに到着、本日の宿泊地である。谷合に迫り出したロッジはシーズンオフで、がらーんとしている。
正面の山のあちこちに幾筋もの滝が望め、ゴーゴーと音を立てている。夜は冷えそうだ。とりあえず、冷蔵庫がないので
常温のビールを流し込み、うとうとと横になる。薄暗くなった頃、ダンが夕飯にしようとやってきた。ウールのシャツを羽織り、テラスの食堂で
ダルバートを注文する。軍人上がりだという体格のいい店の主人がロウソクを持って来てくれた。夕闇の奥深い森の晩餐は実に神聖巖かである。
それでだろうか、ダンとの話もシリアスなものとなった。ダンの実家は現在住んでいるカトマンドゥからバスで一日と徒歩で二日、エベレストの
ベースキャンプに向かう途中のソル・クーンブと言う村にある。家族は両親の他にまだ学校に行っている弟二人と妹一人、そして彼と同じように
カトマンドゥに出稼ぎに来ている姉が一人いる。出稼ぎとはいうものの今の彼の現状は自分の生活を支えるのがやっとこせのようである。
ダンに言わせると、ガイドの仕事は賃金が安い上になり手が多く、二、三ヶ月に一回程度しか回って来ないという。
今年23歳、かつては大学に行きたかったが資金が足りなく挫折した。子育てに労する実家の経済も苦しい。里に帰りたくても手ぶらでは
帰りにくい。ロウソクの明かりに照らされた働き盛りの若者の頬は貧困のジレンマにひくひくと震えていた。
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