95年9月14日 早朝からバロックのBGMを聞きながら、部屋の窓に這いつくばるようにしてキョンジュの大パノラマをスケッチした。
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KOLON
HOTEL(慶州) 部屋からの眺め |
いい天気だ。さあて、これからどこへ行こうかな。観光案内の地図を拡げ、顎肘ついてベッドに寝そべり、板チョコをかじりながら呑気なもので
ある。明日、昼の飛行機に乗るから、やっぱり、プサンにもーどろっと。一度通った路は楽だ。さっさと切符を買い、途中の百貨店で
パンソリ(韓国の伝統歌謡)のCDを買って、プサンのチャガルチへと戻って行った。チャガルチの駅に着くと、もう磯の香りがする。
ここはプサン一の漁港だ。ここから南方に向かって共同市場が立ち並び、庶民の活気溢れる語漲る様子を見ることができる。通りの両側は
まさに鯛や平目の舞い踊りである。サカナだけではなく、春雨、海苔、昆布、スルメ、サキイカなどの乾物類、野菜、フルーツ、豚肉、鳥肉、
香辛料などあらゆるものが揃う。言葉の壁がなければ、わたしは質問責めにしていただろう。堆く積まれたバナナのテーブルの上に椅子を
乗せ、その上に大股おっぴろげて両手に一本づつ握り、どすの効いたしゃがれ声で叫び上げるお姉ちゃんがいれば、まるまると太ったブタを
天井からぶら下げ、その前でゴーゴーいびきをかく海馬のようなごついおばちゃんもいる。実に逞しい。女の底力がプンプンする。
市場を抜け、さらに南方に向かって40分程歩くと、海岸線に沿って、旅館や生け簀料理の店が延々と立ち並ぶアムナンドン(岩南洞)という
所に出る。ハングル文字の派手なネオンは夜になるとさぞ目映いだろう。韓国の最後の夜はこの夜景を眺めながら、地酒のマッコリで刺し身を
いただくとしよう。。
入り江を真正面に見渡せる部屋を探すのにはそれ程手間取ることはなかった。宿のおばちゃんは言葉は通じないが、人の良さそうな方
だった。目の前にはトンヘ(東海)が拡がる。わたしたち日本人が日本海と呼んでいる海である。日本海・・・いったい誰が最初に名付けた
のだろう。ここから眺めていると何やら傲慢な国家主義の匂いがしてならない。ベッドに横たわると、ひんやりとした潮風が眠気をそそった。
ゆっくり、ゆったりの旅にしたつもりであったが三日目にして疲れがきた。歳かなと、二十代の頃の旅の自分を羨んだ。しかし、中野考次の
「思索の旅・発見の旅(岩波書店)」を思い出し、あんなおじいちゃんだって世界中旅をしまくっているのだ。わたしにはまだ疲れた、などという
資格はないのだといい聞かせ、来年はどこへ行こうか、と気分を変えて最後の晩餐に出掛けた。
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