大阪府豊中市
南桜塚1-4-2
06-6852-4041

 
きねやはんのまるごとアート vol.3より
 
 その@   そのA   そのB   そのC   そのD   そのE   そのF   そのG 
 
 わたしは気分転換に、一風呂浴びてテレビをつけた。それは韓国の中学生数十名が夏休みに日本の山野で、日本人中学生らと合流し、

キャンプファイヤーをやったり、広い体育館でドミノ倒しに挑戦したりと、とても爽やかなニュース番組であった。わたしはこれとまったく対照的な

番組を、昨日、読売テレビのニュース・スクランブルで見た。関西のある女子大生のゼミの一行が、夏休みにここプサンへ来て、元従軍慰安婦

だったといわれる老女達の家を訪ねるというトピックスだ。学生達は戦争の傷跡を直接、自分の肌で確かめようとする。老女達から生々しい過去

の悲劇を聞き愕然とする。そして、別れ際に、学生の一人が老女と握手しながら、「なんとかするからね。」と涙ながらにつぶやく。そして、インタ

ビュー。「日本で考えていたより韓国へ来るともっと深刻なことがわかりました。」わたしは、叫ぶ。「バカヤロー!!おまえらはマスコミに手足

もぎ取られ、脳みそほじくられて、マザー・テレサの縫いぐるみ着せられとるんやないか。そらテレビに映りたい気持ちはわかる。しかし、

最後にはやつらのお涙ちょうだい的茶番劇の女優にさせられてしまうのだ。だから、ほんとうにこの国を知ろうとしたいのなら、できれば、このわ

たしについてこーい!!」

 わたしはパンツ一丁のまま、左手にマイクを持つようなカッコウをして、七、三の構えをし、五木ひろしになりきって歌い始めた。

  ♪〜ミョンニュンドンからバスに乗って

  キョンジュに着いたぁ

  ここは港町

  女が泣いています。〜♪ 

 部屋の窓の外は隣のビルの壁だった。明日はもっとロマンチックな部屋に泊まるとしよう。時計を見ると、もう8時だ。適当な食堂を求めて、

チュンガンドンからナンポドン(南浦洞)に向かって、ぶらぶらと歩いた。この辺りは起伏の多い岩山で、けっこう急な坂道が連なる。

町の繁華街は若者の熱気でムンムンしている。ソウルを東京に譬えると、プサンは大阪、その中のナンポドンはさしずめ心斎橋といったところだ

ろう。アクセサリーに帽子、鞄、Tシャツなどの出店、おでんに巻き鮨、やきとり、てんぷら菓子といった屋台が狭い道に延々とひしめき合ってい

る。若者達のファッションは日本の流行にたいそう敏感だ。髪を赤く染め、ピアスをぶらさげた男の子が、タバコをふかしながら携帯電話をかけて

いる。韓国のマスコミは彼らを「]世代」と呼んでいる。日本でいえば、「新人類」といったところだ。政治、経済、民族問題、儒教精神、彼らには

無関心、と決めつけている。わたしはよく流行っていそうな食堂を見つけ、ひょいと入ってみた。給仕のおばちゃんが来た。メニューも

おしながきもない。すると、おばちゃんは両手で麺をすする真似をした。わたしは韓国の中華麺にソバ粉が入っているものがあるという情報を

得ているので、ソバアレルギーのわたしは念のため中華麺はいっさい遠慮した。おばちゃんは困って、店のかみさんらしきおばちゃんを連れて

来た。するとそのおばちゃんは忙しいのか、すごく不機嫌そうな顔をしながら、突然、横の席で今食事をしているお客の食べかけのドンブリを

ひったくり、わたしに見せ、「チャンヤンカンヤン・・・NO!チャンヤンカンヤン・・・NO!」と叫んだ。お客はまるでストップモーションがかかった

ように振り向きもせず、じっと耐え忍んでいた。わたしは訳の分からぬまま店を出ることにした。食欲減退だ。とぼとぼと表通りを歩いていると

突然、電柱の陰でなにやら無線機の声がした。ふと見ると、制服の警察官らしき男が身を隠すようにして、黒いピストルを両手で握り、銃口を

上に向けてレディ状態のポーズをとっている。わたしは自分の眼を疑った。もうなんやーこの国は。とにかく、訳のわからぬまま足を早めて

その場を去った。しばらくすると、また腹が減ってきたので、屋台にちょっと毛の生えたような店に飛び込んだ。「ビビンバ」というと簡単に通じた。

よかった、これでやっと飯にありつける。味もなかなかのものだった。

  もう9時をまわった。わたしはひっそりとした竜頭公園の急な坂を鉢巻き上に登り、プサン

の夜景を眼下に見下ろす海将、イ・スンシン(李舜臣)の銅像の前に立った。今より400年前、

豊臣秀吉はこの地を攻めた。壬辰・丁酉の乱である。その時、勇敢に戦った将軍がこの

イ・スンシンであった。彼は朝鮮半島を背に、今も日本の方向を睨みつけて立っているのだ。

「しかし、わたしは願いたい。いつかこの像が朽ちてのち、日韓友好のモニュメントが

築かれることを。」

夜の暗闇に隠れた将軍の顔を見ずに、わたしはプサンタワーの展望台に上がることにした。

わたしは我が国がこの国に対して犯してきた夥しい罪を回避しようというつもりはない。

むしろ、もっと根源に存在する万民共通の罪、誰しもがもっているにもかかわらず、それに

目をつぶろうとする罪というものに迫っていくことの方が、わたしは重要だと考えている。


侵略や差別は国家的規模のものだけではない。例えばこの国の内部を見ると、明らかに全羅道地方の人は慶尚道地方の人から社会的

差別を受けている。歴代の政権の閣僚、次官、官僚、軍人などの人事は慶尚道出身者が独占しているのである。したがって全羅道出身の

金大中氏がここプサンで演説すれば罵声を浴びるだけとなる。金泳三大統領が標準語を使わず、意識的に慶尚道のなまりを使うのは

有名になっている。この対立を辿っていくと、高句麗、新羅、百済の三国時代にまで遡らなければならない。新羅の統一が現在の慶尚道優位

をもたらしたのは決してよくはないが、それによって中国からの侵略に対抗する力を結集することができたのであった。

侵略、差別は人間が必要以上にものを欲する低い心が生み出すものである。

貪欲、これこそすべての人間がまず始めに、そして、永遠に反省しなければならない問題なのだ。



 さて、港町プサンの夜景は実に優雅だ。雨後の筍のような高層ビル群のそれではない。飲食街の出店や往来する車のライト、旅館の鮮やか

なネオン、遠方には船の漁火がゆらゆらと風に揺られているように、まるでメダカの学校のように寄り添って、光を放っている。わたしはふと、

さっき道案内をしてくれたソバージュのアガシを思い出した。わたしの前を歩きながら、道行く人、店内の人と顔を合わす度に「アンニョンハセヨ

(こんにちは)」と笑みを浮かべて挨拶をかわしていた。あたかも修道女が蝋燭に明かりを灯していくかのような純粋に満ちた響きを醸し出して

いた。「アンニョンハセヨ」 彼女の優しい響きが、、わたしの心の奥深くに届いた。この言葉はもう忘れない。と同時に、言葉というものは暮らし

の中で覚えて行くのが最も自然であると納得した。子供の教育を決定するのは、やはり両親が与える愛にかかっているのだ。夜も更けた。

寝る前に屋台で一杯やることにしよう。


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